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桑原山地福寺 沿革
地福寺の歴史
『桑原山地福寺縁起』に、
「爰に摂州嶋下郡桑原山地福寺は大織冠鎌足大臣の草創也 本尊は千手大悲観世音菩薩 御長弐尺五寸両脇は不動毘沙門 何れも春日明神の御作也 又鎌足大臣親筆の影像あり 中尊は鎌足大臣左は定恵和尚右は淡海公なり」とあり、地福寺は、中臣鎌足により創建され、開基は僧慧隠法師である。
鎌足は当地に留まり、毎朝天を拝して蘇我入鹿打倒を祈願し、ついに東方の阿武山山腹に光明の輝きを得て、蘇我氏打倒の期であると感じ、その目的を達した。
もとは千手大悲観世音菩薩を本尊とする真言宗の寺であったが、衰退し、天正十八年専誉流念和尚が再興し、浄土宗に転じる。