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  • 田中 乗光

意識の向きはどこ向き

 新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになった方々に謹んで哀悼の意を表するとともに、感染された方々やそのご家族、不安のなかにおられる方々に対して、心からお見舞いを申しあげます。


 先日、緊急事態宣言も5月末まで延長され新型コロナウイルス感染症と向き合う時間はまだまだ続きそうです。


 私事ではございますが、当山での法務等も延期や中止となり、知恩院への勤めも自宅待機が多くなり、急に時間の空きが増えました。

かと言っても、不要不急の外出は控えないといけませんので、出掛ける事も出来ないので家で出来ることやこれからどうしたらよいのか等々、普段では意識しないことを日々こなす時間が続いています。


 普段では意識しないことに意識を向けることはとても大切なことです。

時間が出来て、家の周りをぐるり見渡すと普段意識していなかったところ(汚れや傷、草花など)目が行き、新たな発見があります。

“何かを撮ろう”とカメラを持って歩くだけで、美しいものを探し、美しいものに目が行くようになる。と、写真家の蜷川実花さんが言われていました。

非日常的な時だからこそ、普段では意識しないところへ意識が向けれるという事もあるでしょう。


《普段意識しないこと=あたりまえ


 普段、意識しないことは、自身の中であたりまえ化しているのだと思います。残念ながら自分にとって大事なこともです。

今日と同じように明日も来るとか、思った通りに走れて、物が取れるとか、家に帰れば家族がいるとか、コンビニやスーパーに行けば食べ物があるとか・・・


 仏教に関われば一度は耳にする“諸行無常”(すべてのものは移り変わり、ずっと同じものはない)、2500年も前から説かれている真理です。もちろん現代の人も皆、理解している真理でしょう。常では無いのですから、あたりまえというものは無いのです。


意識しないことに意識を向ける(あたりまえに意識を向ける)と、大きく日々の暮らし方が違ってきます。あたりまえに意識を向けるとどうなるのか考えてみます。


・今日と同じように明日も来る。 

          ➡ ダラダラ過ごさなくなり時間を大切にします。


 限りがあると大事にする(例えばお金。お金を大切にするのは、限りがあるので大切に使うのではないでしょうか)のですが、明日が来るかどうか、今日と同じ日がいつまで続くかは誰にもわかりません。限りというものは、誰にも分かりません。しかし、昨日と同じように今日も1日を迎えられた(大げさやなぁ、と思われるかも知れませんが)と、あたりまえに意識を向けると、その1日は、大きく変わると思います。


・家に帰れば家族がいる。 

          ➡ 嫌なことも頑張れる忍耐力がつきます。


 いくら血の繋がった者同士とはいえ、一つ屋根の下で暮らしていると、喧嘩や小言を言ってしまうことがあります。しかし、家族と一緒に住んでいるけど、家のことをすべて1人でやっている、という人は限られえているかと思います。洗濯物は妻がしてくれて、掃除は母がしてくれて、と役割分担ができていることも多いと思います。つまり、いくら小言を言っても周り(家族)にお世話になっているのです。家族が大きくなれば地域となり、また、社会となるのでしょう。嫌なことがあっても、家族がいる(周りにお世話になっている)と意識が向くと、嫌々ながらにでも「仕方がない、やるか」と、行うことを選べるようになってきます。その積み重ねが自身の忍耐力に影響を与えてくると思います。



《自分を変えるのは、自分だけ》



 新型コロナ感染症の影響により環境が変わり、普段と違う行動や考えでストレスの溜まる生活を余儀なくされることが多くなる方もいるかもしれません。

また、いつの間にかあたりまえとなっているものは、人それぞれにあると思います。

こんな時だからこそ、あたりまえに意識を向ける(少し立ち止まって周りを見渡してみる)ことも大切でしょう。

意識をしなくなる(あたりまえとなる)と、あまり気にもしなくなり、自分にとって大切なものでも後回しになりがちになります。しかし、あたりまえにあるもの程、私にとって大切なものだったりします。


是非とも、自分にとっての“あたりまえ”を再認識してみてください。


 


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