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桑原山地福寺 沿革

地福寺の歴史

『桑原山地福寺縁起』に、
「爰に摂州嶋下郡桑原山地福寺は大織冠鎌足大臣の草創也 本尊は千手大悲観世音菩薩 御長弐尺五寸両脇は不動毘沙門 何れも春日明神の御作也 又鎌足大臣親筆の影像あり 中尊は鎌足大臣左は定恵和尚右は淡海公なり」とあり、地福寺は、中臣鎌足により創建され、開基は僧慧隠法師である。
鎌足は当地に留まり、毎朝天を拝して蘇我入鹿打倒を祈願し、ついに東方の阿武山山腹に光明の輝きを得て、蘇我氏打倒の期であると感じ、その目的を達した。
もとは千手大悲観世音菩薩を本尊とする真言宗の寺であったが、衰退し、天正十八年専誉流念和尚が再興し、浄土宗に転じる。

多武峰曼荼羅

指定文化財

五重塔

石造五重塔

鎌倉後期徳治三年の造立であり、茨木市においてもっとも古い石造。各層の屋根の軒反りが美しく、塔身には四方に阿弥陀如来像が配置され、基礎には「敬白 奉立石塔一基徳治参年申戊参月十九日 願主比丘尼生阿弥陀仏」の銘がある。
花崗岩製。総高2.1メートル。大阪府文化財指定(昭和56年6月1日)

六地蔵板碑

六地蔵板碑

地元の花崗岩を利用し、上には阿弥陀如来像、下二段に三体ずつの地蔵菩薩像の計七体の尊像が配されている。
六体の地蔵菩薩像は線刻蓮華座に伴い、上段左の一体は右手に錫杖を持ち、他の五体は合掌されている。左右輪郭上に「天正八庚辰」「十一月廿四日」の刻銘がある。
茨木市文化財指定(平成12年5月1日)

十三仏板碑

十三仏板碑

板状舟形の地元の花崗岩を利用し、頂上に天蓋を頂く一尊、その下に三体ずつの四段に仏が配されている。輪郭右側には「天正九年二月十五日」の刻銘がみられる。
茨木市文化財指定(平成12年5月1日)

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